自転車で二人乗りをしながら、夜の街を走った。あたしは荷台に後ろ向きに座っていて、逆行する景色を眺めていた。背中に、少し擦れるような相手の身体を感じる。青いことやってんなーなんて、少し冷めた思考の中思った。
「ねぇ、どこ行くが?」
「……決めて、ない」
呆れてため息をつくしかなかった。勢いだけかよ、若いにもほどがあるだろ。あたしは正直げんなりして頭を抱えた。無計画な脱走……でも、悪くないと心の中では思っていた。
その時だった。目の前に一人の男が現れた。
「学生やろ?もう十時過ぎてんで〜」
咄嗟にあたしは叫んだ。
「やばい、補導員や!」
私服を着ていたが、この止め方と相手の余裕さからみて恐らく補導員だろうということは一目でわかった。あたしは慌てて光の背中をぱんぱんと叩いた。
「……走れ、早く!」
「え、えぇ?うん!」
状況が理解できてない光は、あたしの急かしに慌てて自転車をこぎ始めた。補導員の男は慌てて追いかけてくる。
「待て、こらーっ!」
あたしは光を「早く早く」と急かして、裏路地に入るように指示を出した。光は慌てながらも指示通りに自転車を進めていく。左へ、右へ。くねくねと複雑に入り組んだ裏路地を走り抜けていく。あたしはテンションが上がって、ケタケタ笑い転げていた。
しばらくして、小さな公園に入った。そこで自転車を止めさせて、あたしは二台から飛び降りた。光は大きく息を付きながら自転車から降りて、その場に腰を付いた。その様子も可笑しくて、あたしはずっと笑っていた。
「へたれへたれ〜」
「何にもしてないくせに、よく言うよ!」
荒い息であたしを恨めしげに見上げて、大きく息を吐いた。あたしは彼に近づくと、かがんで視線を合わせた。
「でも、頑張ってくれたよね。……ありがとう!」
よしよしと相手の頭を撫でると、光はあたしをじっと見ていた。その視線の意味がよく解らなくて、あたしは眉根を潜めた。変な空気だなって、内心思いながら。
「何よ」
「コウさんさぁ……いつもそうやって笑ってたらいいのに」
一瞬、あたしの表情から力が抜けたのが解った。真顔になって、相手の顔をぼんやりと見る。光は、そんなあたしから目を逸らすことなく、ぽつりぽつりと続けた。
「俺ね、ずっと、コウさん気になっちょったがやけど……コウさんの自由やとか、色々考えてしもうて……顔も見れんくて。でも今日の、アレ……俺のせいやろ?そう思ったら、なんかじっとしておれんくて……」
聞かれていたのかなんて思いながら、あたしはため息をついて視線を逸らした。まぁ、窓すら閉める余裕もなかったんだから、仕方ないんだけど。まさか自分の痴態をさらしているとは……と、心底げんなりした。
「……怒った?」
「いや、気ぃ抜いたあたしが悪いし」
あの時間、幸喜が帰ってきてもおかしくない時間帯だった。それなのにあたしは、何も考えないで自分の本音をポロッと吐き出してしまったのだから、自業自得だ。
真冬の夜の風は、遠い記憶を呼び覚ます。あたしは、なんだか酷くせいた気分になって立ち上がった。
「行こう」
「行くって……どこへ?」
訝しげな瞳で、光があたしを見上げる。あたしは煙草に火をつけてゆらゆらと紫煙を燻らせながらそっぽをむいたまま簡潔に告げた。
「ここからやったら、知り合いの家近いし。どうせあのアパートには帰れんし……野宿もキツイやろ?」
そうしてなだれ込んだのが、春樹の部屋だった。一応直前ではあるがメールを入れていたものの、春樹は相当驚いたような表情であたしたちを見ていた。
疲れていたのか、部屋について直ぐ光は部屋の隅で丸くなって眠り始めた。あたしは春樹と煙草を吸いながら、ぼんやりとその寝顔を眺めていた。
「まさか、俺の部屋に男連れ込まれるとは……」
「そんなんじゃないって」
「まぁ、詳しい話は聞かんけど……どっちにしろ性別は男やな」
「しつこいな〜、そんな突っ込むなよ」
春樹は不満そうな表情で唇を尖らせて肩をすくめた。ベッドの上に腰を下ろして、借りてきた音楽をゆったりと流し始める。
「突っ込みたくもなるよ」
あたしは内心「うっとおしいな」とか思いながら、黙々と煙草を吸った。少し間が空いて、春樹が急にあたしの顔を覗きこんできた。
「んで……もうヤッた?」
「はぁ?」
あたしはあからさまに嫌な顔をして春樹に視線を合わせた。春樹は不思議そうに目を丸くして数度瞬かせる。
「ヤッてないが?」
「ヤルかよ!相手中学生やぞ」
「俺童貞捨てたの中3やで」
あたしが表情をゆがめて視線を逸らすと、春樹は「ほー」と言いながら身体を離した。
「珍しいな……淫乱小娘が代名詞みたいなお前が」
「殴るで?」
イライラする。どうしていちいち突っ込んでくるんだこいつは。第一、あたしがどこで誰とセックスしようがしまいが、関係ないだろうに。
わざとらしく握りこぶしを作って振り上げる仕草をしてみると、春樹は笑いながらベッドの隅へと逃げた。
あたしは春樹から視線を逸らすと、また黙々と煙草を吸い始めた。
欲求が、ないわけではない。むしろ、光に対して酷く歪んだ感情を持っているのは確かな事実だった。それを自分の中で認識するのが怖くて、辛くて、どうしようもなかった。
光のなにかが、あたしにそういった感情を与えているのだけはたしかなことだったのだけれど。
次の日。あたしは光と一緒に春樹の部屋を後にした。行く当てなんかあるはずもなくて、あたしたちは街中を自転車で走っていた。
あっけらかんと晴れた、平日の昼間だった。退屈な、退屈な、平和の日常だった。
「海へ行きたいなぁ」
荷台で煙草を吸いながら、あたしは小さく呟いた。潮の匂いに触れたい気分だった。光はその言葉に小さく頷くと、浜へと続く道を走り始めた。
十分くらいすると、潮の匂いがあたりに漂っていた。あたしは自転車からおりると、浜辺を歩き始めた。目の前に広がる紺色の海。頭の上には、淡いブルーの空。鳥肌が立つように冷たい風。人気のない、砂浜。
冬の海は、いつもこんな雰囲気に包まれている。あたしは、乾いた木の枝や流木を集めて、まとめると、ライターで火をつけた。
パチパチと燃え上がる枯れ木。その熱気が、冬の空へと駆け上っていく。光と並んで腰を下ろしてそれを見ながら、あたしはぼーっとしていた。
何も、考えないでいられる瞬間だった。
あたしにとって、そういう時間は貴重だ。寝てるときと、セックスしてる瞬間だけは、連続する思考の波から逃れることができたから。
他人に責任転嫁もできなくて。
自分を憎むだけじゃもう物足りなくて。
なのに、大声を上げて泣くことも出来なくなった。
一瞬しか流れない涙には癒す効果なんてない。ただ傷口に塩が塗りこまれるようにズキズキと痛むだけだ。だからそれから逃げることができるという瞬間は、当時のあたしにとってとても大事なものだった。
春樹の頭が、あたしの肩に乗った。
その瞬間あたしは我に返って、ピクッと身体を震わせた。胸の奥で、何かがざわざわと音を立てていた。
「コウさんてさぁ」
「何よ」
ぶっきらぼうに、適当な返事を返す。光は喉の奥から漏れるような笑いを浮かべてあたしに視線を向けた。
「煙草くせぇ」
殴ってやろうかと思ったけど、やめておいた。光は構わずに続けた。
「何吸ってるんやたっけ?」
「セブンスター」
簡潔に告げて、あたしはポケットの中から煙草を取り出して相手に見せた。光はそれを手に取ると、まじまじと見つめた。
「あぁ、ホンマや。金色の星が7ていう数字になってる」
縁起いいなぁ。と呟いて、光は嬉しそうに見ていた。その後ふっと真顔になって、あたしの手をとると、おもむろにリストバンドを外した。
「ちょ……おい」
急なことに、あたしは嫌な顔をしてその手を振りほどこうと身をよじった。見られたくない傷だった。リストバンドを外されたあたしの手首には包帯が捲いてあって、そこから赤黒く変色した血が滲んで固まっていた。
光はその傷口におそるおそる指をそっと這わせる。軽い圧迫感に、あたしはピクッと眉根を寄せる。
「昨日あの人が言いよったが……ホンマやったがや」
光はもう一度あたしを見ると、真っ直ぐな視線であたしを射抜いた。
「ねぇ、『人殺し』って何?何があったが?俺……」
あたしの中で黒い感情がドクンと疼いた。光の視線が全身に突き刺さっているような感覚がして、何かが焦っていく気がした。
考えたくもない、暗い、暗い感情だった。
追い討ちをかけたのは、次の一言だった。
「ねぇ、なんか書いたら?しんどいこととかさ。吐き出したら楽になるっていうし。俺も、なんかするからさ!力に、なりたい……」
意識と、思考が音を立てて破裂するのがわかった。何かがあたしの中で砕けていた。