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 彼女の処女膜は、予想していたそれとは全く違って、いとも容易く破れた。球のような汗をかく皮膚が苦痛に歪んで、明菜は大きくため息をついた。
「痛い?」
「ううん、大丈夫」
 と、少女は微笑んでみせる。愛らしいまつげを涙をしとどに濡らせて。瞼から溢れ出す水滴を、充は唇でそっと吸い取った。漣の音が聞こえる。海岸線に張ったテントの中で、充と明菜は初めて一つになった。絡めあうように繋いだ掌はお互いにしっとりと汗ばんでいて、熱気がテントの中に篭っている様な気がする。
「今すぐにでも泳ぎに行きたい気分」
「じゃあ、いく?」
「ううん、もう少しこのままでいさせて」
 そう言って明菜は充の首筋に両腕を絡ませた。充の白い肌は汗ばんでいたけれど、少女にはどうでもいいことだったらしい。充の首筋に顔を埋めてそっと長い睫を下ろした。泣いている女の子は綺麗だ、と感じる。あの女(ひと)が泣いたのならもっと綺麗かもしれないと、瞬間的に感じる。
 裏切っている。同時に二人の女を。それを知っていながら、敢えて充は行為の承諾をした。この先に事まで目に見えていてそれでいて尚、突き動かされるようなサディズムじみた衝動に勝てなかった。律動するリズムの中で、何が愛で何が愛でないのか等、定かではなかった。ただ、漣の音だけが孤独を更に増徴させるように響いていた。
 翌日の海は快晴だった。明菜は羨ましそうにはしゃぐ学生たちを眺めていたけれど海に入ろうとはしなかった。太股まで海水に浸かりながら、充は水平線の向こう側へと思いを馳せた。遠くで友達が呼んでいる気がしたけれど、何も届かないままだった。

 赤いパンプスの隣に、黒い革靴が並んでいた。充のものではない、大人のものだった。充はスニーカーを脱いで部屋の中へと足を踏み入れた。
「健二さん」
 そう呼ばれて、男はベッドの上で上半身を起こした。その上に跨っていた美希は、豊満な乳房を揺らして振り返る。ほんの少し汗ばんでいた。その顔は恍惚として微笑んでいた。
「充君、これは……」
 充が何か言葉を発する前に健二は慌てふためいたように顔を左右に逸らせた。充は思わず溜息をついた。これが悠子を悩ませていた種だったのか。そして彼女は知っていた。自分の夫となる男が美希と関係を持っていたことを。気がつけば、充は数枚の万札を握らされていた。
「なかったことにしておいてくれ。頼むよ」
 そう言って、男は慌ててスーツを羽織るとバタバタとその場から逃げ去っていった。その情けない背中を眺めていたら、急にムクムクと怒りがこみ上げた。美希を見た。はじめて見る全裸だった。中世絵画の娼婦のように白く、滑らかで柔らかそうな肌と肉はそのままだった。美希は相変わらず微笑んでいた。
 衝動的に、充は美希の頬を札束ごと叩いていた。どす黒い怒りだけがこみ上げて仕方がなかった。
「あの人とはセックスするんだね」
「彼は男だもの」
「僕の時には服も脱がないくせに!」
「君は未だ男じゃないわ」
 殴られても尚、平然とした態度で美希はセクシーダイナマイトの黒いベビードールを着た。薔薇色の乳首がレースの下にうっすらと見えていた。誰にも伸ばせずに握り締めたままの拳が痛かった。ベビードール姿のまま、美希はグラスにミネラルウォーターを注いでそれを口に運んだ。充は俯いたまま震える声で彼女に呟く。
「僕のこと、綺麗だって言ったくせに」
「綺麗よ。だからセックスしないの。汚れちゃうから」
「意味がわからない!」
 叫んではみたものの、それが美希に届いているかと言われればよく分からなかった。彼女は平然と聞き流していたし、それを重く受け止めているとは思えなかった。
「僕、セックスしました」
 美希が顔を上げた。
「こんな僕は、もう綺麗じゃないですか」
 涙が溢れて止まらなかった。なのに、顔だけは笑顔を繕っていた。可笑しくてしょうがなかった。こんなにも何処かがずれてしまうほどに恋をしていたのは自分だけだった。美希は顔を逸らせた。窓際に並べられた観葉植物は光合成を繰り返している。
「出てって。もう来ないで」
 その台詞が出るのは容易に想像できたのに、胸の奥の痛みはどうしても取れなかった。


 美希の部屋から帰る途中、充は俯いたまましゃくりあげる様に泣いた。もう夏は終わろうとしていた。蝉の死骸があちこちに転がっている。なのに焼けたアスファルトの照り返しは足元から肌を焼いた。
 その時、真正面から聞きなれた少女の声が聞こえて、充は顔を上げたのだった。
「もう、夏終わっちゃうね」
 明菜が立っていた。笑っていた。けれども泣いていた。私服だった。
 彼女の履いていた赤いミュールは、世界の終わりを告げているように思えて、思わず充はアスファルトに膝をついていたのだった。

END