Spiral

 火花が散る。ビリヤードみたいに弾けとんだそれは、煌く飛沫を迸らせながら相殺していく。そして美しい弧を描きながら溶け込んでいくのだ。かといってその奥の闇を照らし出すことはなく、ただ優美に舞う金粉だ。はっきりとした存在感を放つ虚は、奥底まで見通せない深さを持って柔らかに光を飲み込んでいく。 
 拡散する意識のスパイラル。この幻覚を、あたしはしばしばそんな言葉で言い表した。バラバラに砕けて散ったあたしのかけらたちが、闇にまぎれて戻ってくる。そうなってからやっと、あたしは我に返るのだ。 
 こういった幻覚はセックスの最中に体験した。何度も絶頂まで追い込まれ、上り詰めたものが下りられなくなってしまうと、酸素の足りない脳と痙攣する肉体が様々な反応を起こす。くるくると世界が回って、心地よい浮遊感に包まれる。そして目を閉じるとスパイラルは発生するのだ。 

「くるくるくーるー」 
 朦朧とした意識の中、あたしは笑い声を上げた。気持ちよかった。酩酊はいつだってあたしにコウフクを分け与えてくれる。まぁその後必ずと言っていいほど、酷い嘔吐感も付いてくるのだけれど。 
 両手を天井に掲げてゆらゆらと波打たせるあたしを見下ろして、男は苦笑いを浮かべた。 
「気持ちいい?」 
 酔ったようにあたしは笑い転げて数度頷いた。男の問いは、あたしの感覚と中心部が多少なりともずれていたのだけれど、そんなことはどうでも良かったし、第一それすらあたしは気付かなかった。 
 男は愛しげにあたしを抱きしめて、血液の代わりに蜜を滴らせる裂傷の中へと長く吐精する。その瞬間、あたしの中のスパイラルは急速に速度を増して全て飲み込まれていった。そうしてやっと、あたしは自らの意識を手放したのだった。 

 内側の世界は、朱色だ。肉の色だったり、血の色だったり、花の色だったり。だけどそれは生きるものの色であり、命の根源だ。眠っている間、あたしはそんな世界を体感することが出来る。それに恐怖を伴うのは、少なからずあたしが人間であるということの証明なのかもしれなくて、そんな感覚すらあたしは愛しかった。 
 その中をゆらゆらと浮遊しながら、あたしは歓喜の声を上げる。言葉にはならない。だけど嬉しい。耳元で火花が散る音がする。 
 ばちばちばち 
 ばちばちばち、ばちばち、ばちばちばちばち 
 不確定なリズム。それは神経が切り離されたり繋がったりする音に似ているのかもしれない。もしくは星が生まれるとき。宇宙が収縮するとき、熱を帯びるときっとそんな音がする。その中で心の形は捻れて回転して、溶ける。そしてあたしは一つになる。何と?と聞かれても明確には答えられないのだけれど、恐らくそれは源流なんだろう。全ての物事の根元に。 



「僕はね、子供が出来ない体なんだ」 
 目が覚めて、バターをたっぷり塗ったトーストに噛り付いていると、唐突に男が言った。ゆらゆらとマーブルを描くコーヒーの水面に視線を落として、彼は顔を上げなかった。 
 ぺろりと下唇と舐めると、仄かにバターの塩気を感じた。サラダの上に乗せられているプチトマトを指先でつまみあげると、舌の上に乗せた。つるつるで、ころころしていて、なんて愛らしいんだろう。この色もいい。鮮やかな朱色だ。噛み潰したときの感触もいい。ぱちんと弾けて、華やかな酸味と甘みが粘りつくような油気を拭い去ってくれる。 
 かといって未だそれを咀嚼する気にもなれなくて、あたしはそれをしゃぶっていた。 
「だから、ここにいてくれないか」 
 男の声が耳に届いて、目を丸くした。今更だ、と思った。もう三ヶ月ほど、この部屋から一歩も外へ出ていないのだから。 
 あたしは改めて男をまじまじと観察した。油分の少ないさっぱりとした肌。しなやかな指先。細い顎の線。艶やかで指どおりのいい髪。もう三十路も半ばにかかろうという彼の奥には、拭いきれない陰がある。 
 正直に言ってしまえば、彼に生殖機能がないということはとおの昔に気付いていた。それだけの時間とセックスの回数を彼とともに過ごしてきたから。改めて言われずとも、あたしにとっては当然の事実だった。だから幾ら胎内で吐精されようと、何も言わなかった。……そうでなくとも、言わなかっただろうが。そのこと自体には何の抵抗もない。 
 だけど、それを口にすることを脳が拒否した。あたしはしばらく黙っていたが、どうでも良かったので黙っていた。 



 あたしが彼の元を去ったのは、それから数週間後のことだった。あれ以来彼とのセックスにスパイラルを感じなくなってしまったから、というのが一番の理由だ。 
 彼とのセックスが、偽りの生殖行為でしかないことは知っていた。それが問題ではない。子供が出来るか否かなんてことは、それほど重要なファクターではない。 
 単純に言えば、彼のセックスそのものが変化したのだ。壊れそうな人形を抱くように彼はあたしに触れた。あたしは生きている。紛れもなく。だからこそ叩き落して欲しかったのに。そんなことではあたしは壊れない。生きているのだから。 

 命の流れに溶け込むことが、あたしの死を意味するのならば、彼はあたしの産声すら聞くことはなかったのだ。

END